Never Ending Summer

バンコク在住日本人ギタリストの日記

生々流転

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この街に来る人がいれば帰る人がいて、生まれてくる人も入れば逝ってしまう人もいる。景色は日々変わっていくしトラブルも多い。兎に角同じ瞬間は二度はない。やりたいことをやっておかなくてはいけない。例えば、やっぱり水辺に住みたいなぁとメーナムを眺めるたびに思う。タイはもともと水の都なのだ…運河の水は文字通り死ぬほど汚いけど(笑)あと、死ぬまでにもう一回猫と暮らしたい…とかなんだかんだある。

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日本のロングツアーもやりたい…というより1年間くらいひたすら弾き歩いてみたい。アジアはもちろん、ヨーロッパでも南米でもどこでも演奏してみたい。各地で路上演奏もやりたい。いつ死ぬかわからないってのにまだ果たせていない夢だらけだ。我ながらわけのわからない日常だと思うが、今さら変わりようがない。

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後半は今育てている『Joy of life』という仮題の新曲。まだ展開がフワフワしているけどいろいろな場所で弾いているうちに成長していくだろう。前半は『Now I am become Death, the destroyer of worlds』という原爆の父 ロバート・オッペンハイマー博士が自身の後悔を古代インド聖典の一節に重ねて語った独白の音声に音を重ねている。サイレンは東京大空襲の際のサイレンの音。このアプローチは2年くらいやってるが、一連の言葉の意味が重要なわけではなくて、ものすごく感情的なその声の響きが心を震わせるもので使っている。言葉は便利だけど時に心を惑わせる。それが大事なことであればあるほど誤解を生んだりすれ違ったり…とても繊細で難しい。

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だからこそ抽象的な表現が意味を持つ場面があるのかな…と最近は思う。実際、言葉より音が雄弁な時は少なくない。完全に理解しあうことがかなわなくても、理解しあえる瞬間はある。それは瞬間とはいえ希望の光だ。とても儚いけど美しい。

この2年いろいろな記事を読んでいて思うが、博士は天に与えられた才能を存分に使って真面目に自分の仕事をこなしただけなのだ。ただ、その仕事は大量殺戮兵器の開発という仕事だった。彼だけが悪いのか? 否。集団の意識が怖いのだ。真面目な人ほど与えらえた仕事を一途に遂行する。その結果が原爆だった。運命とは言え本当に気の毒だ。彼の言葉には膨大な情報が詰まっている。多分それは人間にとってとても大事なことだ。意味ではなく彼の声の表している様々な感情を素直に受け取るべきだと思う。