Never Ending Summer

バンコク在住日本人ギタリストの日記

Monologue

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帰り道に駅に向かう橋の上でアメリカ人の友人DANNYに会った。彼は普段は報道関係のしっかりした仕事をしているが、俺が知っているのはアートパーティーでがむしゃらに弾き語りをしている時の武骨で暑苦しいシンガーとしての彼だ。とても気のいい奴でたまに街で遭遇すると屈託ない笑顔を見られるのが嬉しい。この国でも音楽を通して本当にたくさんの面白いアーティストや音楽を愛する友人達と出会ったが、それを知ったビジネスマン達は俺の音楽を聞きもせずどんな活動をしてきたかを調べもせずに『その人脈を生かして云々…』とくだらない戯言をのたまうばかり。俺が愚直に積み上げてきたものはそういうものではない。人間が集まると金蔓にしか見えないってのはある意味病気だと思う。わかり合う必要もないが単純に得意げに金儲けの話をするその顔にうんざりしているだけだ。頼むから放っておいてくれ。

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次の流れが始まるまでの狭間ではいつも様々な葛藤を繰り返すことになる。ライブをしていない時期は特にその様相が酷くなる。錨が外れた船のような状態になって漂流が始まる。体調が崩れて虚無感との戦いに突入して右往左往しているうちにまた弾き始める。もはや手慣れたもんで右往左往している自分を別の自分がじっと眺めている。誰にも理解される必要はないのでただただ時を待つだけだ。いつも諦めの向こう側に次の音がある。無為だと知りながらも足掻くのは大切なことだ。退廃ってのはとても魅力的で怠惰な日々に堕ちていくのはとても簡単で楽しい。ただそれもここに来るまでに充分やったような気がしているし、爺さんになるまで生きていたら嫌でも恍惚とした日々を過ごすことになるだろうし、それに飽きてしまうってのは如何なものかと思うのだ。

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そういえばばあちゃんは間も無く100歳だ。足腰はすっかり弱ってしまったし話はあっちゃこっちゃ飛ぶが、まだ毎日元気に新聞を読んでああだこうだ言っているらしい。スゴイとしか言いようがない。俺は今まで生きてきたのと同じ時間人生が続くと思ったら面倒くさくて気絶しそうだ(笑)ひとりで生きるにはあまりに長すぎる。弱ってきたらできるだけ早く周囲に迷惑をかけずに死にたいと素で考えている今日この頃だ。