Never Ending Summer

バンコク在住日本人ギタリストの日記

90分間の物語

f:id:kotataki-dubdrawingspace:20190503214817p:plain

10年ほど前に地元の街の小さなライブハウスで【90min'】という即興ソロライブをやったことがあった。今思えばたいしたことはできていなかったが、それを演った心意気だけは褒めたい(笑) 昨日、今できるアイデアを全部放り込んでみようと思って弾いた1セットの長さが104分だったのでそんなことを思い出した。即興で弾き続けるだけで90分間集中してもらうのは至難の業だ。大阪のフェスティバルホールに観に行ったキース・ジャレットの即興演奏の公演時間がアンコールも入れて正味90分くらいだった。俺は楽器弾きとしての技量が低いのでキース・ジャレットのレベルの演奏など望むべくもないが、あの夜から俺なりのやり方で皆が90分間集中して聞き続けられるような一発勝負の即興演奏を目指して弾き続けてきた。もしそれができたなら、即興演奏でどんな国にでも弾きに行けるだろうと思ったのだ。

åçã®èª¬æã¯ããã¾ããã

昨日の録音を聞いて90分間生きた音を弾き続けるという目標には近づいてきていると感じた。まだ毎回クオリティーにむらがあるし完成度も低いが、地道にやり続けただけあって10年前とは比べ物にならない。最近のステージでは演奏時間の制約もあるので60分程度が精一杯だったが、日本に行くまでにある程度納得できていればツアーファイナルのボナルーカフェで仙石彬人の映像と共に90分のサウンドスケープに挑戦してみようと思っている。5年ほど住んでいた須磨の海の光景は俺の音楽に含まれているし、久々に挑戦する場所にはふさわしいだろう。

ç»åã«å«ã¾ãã¦ããå¯è½æ§ããããã®:æ¨ãå±å¤

昔から窓からの景色を撮るのが好きだ。お店を作る仕事をしている時に自分で窓を作るようになってから余計に好きになった。たいした腕前ではなかったが、段取りをしてひとつひとつ仕上げていくうちに空間が出来上がっていく様には《自分の手で物を作る快感》があった。この2年間人生初めてのオフィスワークをやったおかげで物を作る仕事の素晴らしさを再認識した。一流の職人さん達の仕事は本当に美しくて、チェンマイやチェンライに現存する古い木造寺院の細工には惚れ惚れした。一個一個のパーツが手作りで、その集積が巨大な建築物となる。どれだけ時間と手間がかかったんだろう…と想像するだけで感動的だ。

f:id:kotataki-dubdrawingspace:20190316113938p:plain

大工にしろその前にやっていた機械工にしろ職人の先輩にはいろいろなことを習った。俺は世間知らずでひねくれものでとっ散らかったクソガキだったので親方や先輩にいろいろなことで怒られたが、あれが無かったら《猿》レベルだった。今は感謝しかない。仕事を通じて《物を作るためにはまず構造を理解して逆算しなくてはいけない》ということを理解したことは、後にスタジオで音楽を構築するときに役にたった。一つ一つの仕事を完璧にこなしてその結果が完成につながっていく…すべてが勉強だった。方や、今やっているデスクワークはどれだけ贔屓目に見ても就労ビザ取得と基本収入という以外の意味が見えなくて真の意味で勉強になることはほとんどない。世間知らずの俺のような人間には良い社会勉強になっているが、俗に言うブラック。真っ黒けってのはこういうことなのか…という勉強をしている(笑)真っ当な若い連中のやる仕事としてはぜんぜん勧められないな…といつも思う。あれじゃあ未来が無い。

f:id:kotataki-dubdrawingspace:20190504074516j:plain

孤独ってのは本当に厄介だ。みんな孤独が嫌なのでつながりを求めて《友達》とか《恋人》というすごく曖昧な関係性を維持する為に神経をすり減らして、その関係性に依存して一喜一憂する。近づけば近づくほどお互いに理解しあえないことに気づいてそこに軋轢が生まれる。感情的だからこそ人間であるし、その中で物語や歌や音楽や芸術が生まれるってのは間違いないけど、俺は現実にある《軋轢》が面倒になってしまって、ある時期からゆるやかにあらゆる人間関係から離脱していった。シンプルにみんなパワフルだなぁと感心するばかりだ。それぞれの人生にはドラマがあって、それぞれに問題があるだろうけど、とにかく健康に日々をすごしてほしいとだけ願っている。俺はなるべく周囲に迷惑をかけないように自分の人生を終わりまで粛々と生きるだけだ。