Never Ending Summer

バンコク在住日本人ギタリストの日記

Musical conversation with world experimental musicians in BKK

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約20年間に渡って地下音楽の世界でソロ活動を行っているが、バンコクに来てから急に experiential musician として扱われる場面が増えた。実際のところ俺は常に抽象的な音楽をやってはいるが《一般のお客さんと空間を共有する》という目的の為に試行錯誤を続けているので《実験音楽をやろう》と思ったことは一度もない。活動の結果として演奏の一部が実験音楽と似ているのだけだ。彼等の姿勢とか表現の方向性は俺とは全く違う。

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映像は今日バンコクでのセッションに関する問い合わせが届いたヨーロッパのミュージシャン Dirk Wachatelaer のセッション風景。静謐で個人的で美しい experimental session。ドラムのスキルも緻密でハイレベルで素晴らしい。あくまで私見だが実験音楽とは理解とか共感を求める姿勢を意識の中から完全に排除した状態で演奏される音楽だ。もちろんエンターテインメント性は皆無。なぜなら彼等のイメージの中には聴衆が存在すらしていない。それはシンプルに音だけの世界だ。

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日本にいた頃も実験音楽を演るミュージシャンとは共演していたが、関西の小さな地方都市である神戸にわざわざ来る experimental musicain の数もそれを観に来る人も少ないので機会は限られていた。この手の音楽は昔から京都や大阪の方が盛んだ。それに比べるとバンコクは首都で周辺国より整備されているのでいろいろな国のミュージシャンがアジアのシーンに興味を持っていて休暇も兼ねてこの街にやってくる。加えて人口の割にシーンが限定されているもので、金にならないこの手のセッションに対応するミュージシャンは少ない。必然的にかなりの確率で俺に話が回ってくる。ハイレベルな各国の変態ミュージシャンとの異種格闘技戦みたいな気分で楽しいし、音楽修行的な意味合いでもできる限り参加しているが、今のところセッションが終わってから『やり切った!』という爽快感を感じたセッションは少ない(笑)いろいろな意味で申し訳ない気分になりがちだ。まあ仕方ない。回数を重ねてわかって来たが彼等はそういうものをまるで求めていない。なので俺の求めているような表現にはならない。ただ、違うからこそ彼等から得るものは多い。俺はここに来てからミュージシャンとして目に見えて飛躍的に進歩したが、それは彼等のような先鋭的で無垢なミュージシャン達と機会を与えてくれるバンコクの友人達のおかげだ。

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これは2か月ほど前にPokの家でやったimprovisation jam の one shot recording音源。最近演った中では一番面白かったし、日常的に彼と交わしている会話のような自然な演奏でとても気に入っている。彼が住んでいる裏庭の小屋は運河の上にあって小船が行き交うし大きな気があるので演奏を始めると音に反応してそこに住んでいる鳥も唄い始める。写真のように俺は屋外の椅子に座ってとてもリラックスして演奏していたのでセッション中に彼のお母さんが話しかけてきて俺も普通に会話に応じていた(笑)

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過去のセッションを見直してみると記録ってのはとても大事だ。刹那的であることはとても美しいが、映像を残しておけば世界のどこかで誰かが何かを感じるかもしれない。セッションの中には必ず美しい瞬間がある。記録の方法を考えなくてはいけない。