Never Ending Summer

バンコク在住日本人ギタリストの日記

自問自答

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夜中に起きてしまって、やることもないのでギターを手に取ると禅問答のような自問自答が続く。少し前からコアなソロ演奏をする際には《装飾音》を演奏の中から排除したくなっていて、この音は必要な音なのか?それともただの飾りなのか?というようなことを弾きながら考えている。歌のバックで演奏している楽器弾きが拍手をもらうのはほとんど曲芸的に装飾音を奏でている演奏を繰り広げている場面だが、個人的にはあれを追いかけるつもりはない。単純に演奏スキルが無いからできないんだけど、もともと興味が無いのでその為の練習をしたことすら無いのだ。それでも長年弾いていると頭の中には商業音楽のセオリーみたいなものは取り込まれてしまっていて例えばロックをやればロックっぽく、PUNKをやればPUNKっぽくというような感じで特に歌のバックの時は望まれた音をなんとなく弾いてしまうもんだ。要は心の無い形だけの演奏。それは惰性で弾く意味のない音だ。存在意義のある音だけを奏でるべきだと思う。こうやって作っては壊し作っては壊し、いったい俺は何をやっているのか?と思うことはもちろんあるがそれ以上に答えを知りたいという欲求が強い。答えは無いのかもしれないしあるかもしれないし、どこまでいっても終着点すら見え無いような気がするが、ここまできたら行けるところまでは行くべきだろう…という感じでまるで迷宮だ。

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皆家族や恋人や友人達のことを思いやって生きている。命や思いは紡がてれる。俺には何もない。死ぬよりも怖いのは最後まで何ひとつ納得できるものが作れなかったら…って負のイメージだ。恐怖に苛まれる。それを打ち消すのもまた音楽だ。どうにも救いがない。