Never Ending Summer

バンコク在住日本人ギタリストの日記

Where is your soul ?

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ドローンアンビエントを作曲するミュージシャンはどのように作曲しているのだろう…?と昨夜15分ほどの即興ドローンサウンドを弾いた後で考えていた。俺は長年弾いているうちにできたパターンを無意識に組み合わせているので、いざ《作曲》と言われるとよくわからないので機会があったらコンポーザーに質問してみたいポイントだ。長年の間、ギターを弾く度に自由な音楽ってのは何なのか?ってことを考えるが、いつまでたっても答えは出ない。まったくの私見だけど結局は本人が自由であるかどうかがその音楽が自由になる唯一の条件ではないかとも思える。何に対して?と聞かれれば所謂《ビジネス》がらだ。端的に言えば《金》だ。《生活》だ。もちろん金を稼ぐのが悪いのではない。俺たちは生きていかなくてはいけないので当たり前だ。創作する時に《創る》ことを目標としていて《売る》ことを考えていないということだ。

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長年やってきて《作品》ってのはあくまで個人的なものだと思っている。個人的なものが結果的に人の心を打つから売れた…というのが正しい流れってもんだ。《商品》は売ることを中心に作られるもので《作品》ではない。例えば俺がデビューしたころのメジャーレーベルの会議では《人》をターゲットに制作会議が行われていた。例えば《10代の女性》とか《20代のロックファン》とか《OL》をターゲットに云々…これは完全に《商品》だ。会議を元に歌詞が作られたり洋楽の売れ筋の音をパクったりして確実に予算を回収した上で利益を生むであろう《商品》を作るのだ。バンコクで感じる最近の傾向はファッションブランドとかネット上の人気音楽サイトとか要するに制作時のターゲットが《企業》に変わったように見える。企業がイベントや宣伝に使いやすそうなイメージを前提にプランが立てられている。CDが利益にならないので企業の広告宣伝費を当てにする感じなんだろう。どちらにしろビジネスなので一緒なんだけど、演奏を人に聞いてもらいたいというのはミュージシャンの本質的な欲求なので《人》はわからんでもないけど、《企業》を狙っている今の方がよりビジネスライクになっている印象を受ける。ミュージシャン達は過去に売れた音楽をコピーするために必要な演奏技術を学校で習い、その知識と技術とマーケティングデータを組み合わせてコンセプトを決めて企業が使いやすそうな《商品》に自分を仕立て上げる…とても合理的だ。

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締め切り前に修羅場で云々でなんとかやり上げたよ…プロだねぇ…とかしたり顔でよく言い合っているのを見るが、クソ喰らえって感じでまったく気に喰わない。世の常識はだいたい嘘だ。期限を守るのがプロだとかクライアントの都合でしかない。人のわかるものをやらなくてはいけないとか知っているもの、簡単に理解できるものをやらなくてはいけないってのも音楽を創るという本質とはまったく関係ない。その方が《売れる》からだ。金を払ってるんだから期限は守れ、金払ってるんだからこちらが気に入るものを作れってことだ。だいたい《依頼者のいる創作》ってのはあり得ない。そこにあるのは商品発注と下請けの関係でただのビジネスだ。金だ。金の為に締め切りを守り、言われた条件に従って商品を作って納入しているだけだ。アートや音楽ってのは集金システムに対するアンチテーゼであったはずで、システムの中で働く人々のストレス解消やシステムに対する疑念から目を逸らす為の小道具として作られるべきではない。人間の想像力の持つ新たな可能性を示すべきだし本能的な快楽であるべきだ。俺はミュージシャンとか業界の人と音楽の話をするのが大嫌いで打ち上げ等の場所にはほぼ出ない社交性ゼロの人間だけど、なぜかというと大概の場合音楽の話の体で内容は《何が売れるか》って話だからだ。純粋な音楽の話なんてほとんど聞いたことが無い。単純に《稼ぐ》って意味でやるなら初めからミュージシャンなんて割に合わない職業は選ばないほうが良いと個人的には思っている。未だに楽器が下手で苦労している俺から見ると、素晴らしい演奏能力を持ったミュージシャンがその才能をフルに発揮する機会がないまま商売の下請けをやって堕ちていくって状況で、とても切ない話だ。

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と、ここまで書いてきたが、前時代的な意見だと自分でも理解している。システム最優先の世の中だ。芸人ですらモラルを求められる。本能的な表現を体現していたミュージシャンたちは大概若くして死んでしまったし、彼等も今生きていたら流れには逆らえないだろう…どちらにしろ生きていられなかっただろうけど。次から次へとシステムに順応するよう教育された人間が増えていく中で、ひとりで形ある作品を完成することのできるペインターやデザイナーや造形等の《アーティスト》とは違って聴衆がいないと成り立たない《ミュージシャン》という職を生業にする場合は社会の仕組みに影響されずに創作するのは難しい。時代の流れってもんだ。超天才か超器用な奴が生き残る。そんな中で欲求不満を溜めたミュージシャンたちは即興演奏やノイズ、アバンギャルドなどと呼ばれる音楽を本業のエンターテインメント業務の傍らにやって表現者としての活路を求めるわけだけど、それは片手間でできるほど簡単ではない。なんせそれを本気でやっていたのは世界に馴染めない基本的に反社会的な思考を持つ連中だ(笑) 当たり前の事実だけど《本能的な表現》ってのは《管理されることを受け入れた人間》が演れるものではないので結局いつものやり方で頭を使ってアンダーグラウンドミュージックの模倣をやることになる。まったくもって本末転倒なんだけど、リードを外されたからと言って飼い犬は主人から離れないってのと同じで《失った野生は二度と戻ってこない》のである。悲しいことにプレイヤーとして仕事をしている職業ミュージシャンであればあるほどこの結果は顕著だ。彼等は真面目に勉強をしてトレーニングを積んで何でもそれなりに弾けるが、その代償に自分の音を無くしてしまう。皮肉なもんだ。

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半面、自由な状態はとても不安定だ。どう歩き出すのか一歩目から考えなくてはいけない。自分が今立っているのか倒れているのかもわからない。歩きだしても右も左もない。でもそれが面白い。誰でも最初は模倣から始まる。そして模倣から離脱するのはとても難しい。苦し紛れに過去の音楽をすべて否定してみたりするわけだが、現代において世界中をさがしても人類未踏の地をさがすのが難しいのと同じで音楽でも前人未到の新しい音などほぼ無い。『あった!』と思ってもその音楽は誰にも伝わらない…ってなことになるのでとても切ない。時間をかけてわけがわからないことをやっていたという事実はとてもしんどい(笑) アート系の人間が精神的な病に陥ったりしがちなのはそのせいだと俺は思っている。しかし、いろいろ試行錯誤することに大きな意味があって、ある日突然『どうやら形の問題じゃないぞ…』と気付くのだ。同じメロディーを同じ楽器を使ってトレースしても同じ音は二度と出ない。シンプルだけどこれが本質だと思う。若いころに酒を飲みながら地元の先輩ミュージシャン達に言われる度に『うるせえぞジジイ』と思っていた言葉だが、いわゆる《魂》ってやつだ(笑) 

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踊るという明確な目的があって形の制約の多いダンスミュージックにも素晴らしい表現者がたくさんいるが、それは彼等の精神が自由だからだ。絵描きと一緒でひとりの作業で創作が完結できるってのも大きいし、楽器のように直接演奏しないので肉体の限界や技術の限界を気にせずに直感的に演れるってのも利点だ。ひとりで完結できれば制作中に芸術家面をしたビジネスマンのクソみたいな意見を聞かされずに済む(笑)作品ができた後で初めてビジネスの話だ。『さてどれが好きですか?』ってなもんでスマートにやればよい…俺にはできないけど。

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