Never Ending Summer

バンコク在住日本人ギタリストの日記

One night in Bangkok

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びっくりするくらいたくさんの友人たちに会った昨夜のセッションの帰り道、酔っ払ったタイの若者達が我が物顔で歩き回り道は大停滞、そこら中の植え込みに立小便をしたりゲロをはいている輩が多数…という深夜2時のソイ・エカマイの混沌の中をギターを担いで歩きながら《ようやく迷宮から抜け出せそうだな…》と思った。ひとりで過ごしているとたまに自分が何をしているのか、どこにいるのかを見失う。そんな時に俺を現実に引き戻してくれるのは演奏を通じて出会ったバンコクの夜の住人達の何気ない言葉や、ここで出会って一緒に演奏をする多種多様なミュージシャン達の音楽。今回の迷宮入りはかれこれ半年くらいかな…この街に来てから一番長い停滞だった。上がらないモチベーションに対してひとりで足掻いた結果演奏力はかなり向上したが一番の問題は《心》の部分…結局最後は《人》が俺を救ってくれるのだ。部屋にいるだけでは誰にも会わず何も起こらないわけで、動く(演奏する)ってのは生きることと同義だ。

人間は鏡をもってこの世に生まれてくるのでもなければ、私は私である、というフィヒテ流の哲学者として生まれてくるのでもないから、人間は最初はまず他の人間のなかに自分自身を映してみるのである。人間ペテロは、彼と同等なものとしての人間パウロに関係することによって、はじめて人間としての自分自身に関係するのである。しかし、それとともに、ペテロにとっては、パウロの全体が、そのパウロ的肉体のままで、人間という種族の現象形態として認められるのである。人間ペテロは人間パウロを鏡としてつまりパウロの身を自分の身に置き換えて、パウロの姿の中に人間種族つまり類としての自分の姿を見るのである。

資本論』第1部第1章第3節

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昨夜は『久しぶり!最近どこで弾いてるの?だいぶ前に見た〇〇でのライブ良かったよ。今バンコクにいるの?』と同じようなことを何度も聞かれた。昼の仕事に時間を取られてこの2年間セルフマネージメントが停滞していたという確たる証拠なわけで苦笑いするしかなかった。とりあえず日々衰え往く肉体と相談しつつ再開だ。こうやって声をかけてもらっている間しか演奏はできないし、人生は明日終わるかもしれない。再び人前に身を晒して審判を仰ぐのだ。正直体力的な問題を理由に《怠けていた》ってのは否めない。老体に鞭打ってがんばりましょう。

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なんだかんだでキッカケになってくれたRAWIのみんなに感謝したのもあったし、急にそうしようと思い立ったのでリーダーのギターと笛を担当しているZUにループマシンを1台プレゼントした。ボルネオで暮らしている彼等はナチュラルでめちゃめちゃええ奴らやった。普通はバンドってのは格好つけた感じがあるもんだけど、彼等は本当に自然体で《楽団》と呼ぶほうがしっくりくる感じ。同じステージに立つ彼らの心から楽しんでいる表情を眺めながら、見習わなくてはいけないなぁと思っていた。俺にとっては心を開くってのはとても難しいことだけど、少しずつでも力を抜いて心を開いていこう。それだけで音も変わっていくだろう。今度会うときはレコーディングをしようと言われたのでそのうちまた一緒にやることになるだろう。楽しみだ。

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風邪の調子は終わりかけだけど右耳の聴力がまだ戻らない。このまま戻らなくてもまあ仕方ないとは思っているが、次から高熱には気を付けなくてはいけない。両方やられたらどうしようもなくなる。会社の仕事の為に無理なことをしたところであいつらは感謝もしなければ何も面倒を見るわけでもないし給料も日本より激安いので医者に行く金すら出ない程度の扱いなのだ。自己中心的に動かないと損をするだけだ。日本的に真面目にやった結果は右耳の不調…ってことでまさに自業自得だ。てなわけでどう考えても音楽の仕事を増やす必要がある。なんにしろ健康第一やわ。動けないとアウトだし。