Never Ending Summer

バンコク在住日本人ギタリストの日記

日々の徒然

写真の説明はありません。

昨夜は久しぶりに満足するまでギターを弾く時間があったので数時間演奏して気分良く疲れて眠りについた。早朝に目を覚まして溜まっていた洗濯物をマシンに放り込んでからコーヒーを淹れて日記を書き始める。休日の始まりとしては不足ない。アパートの前の道をバンコクの建築現場で働くご近所さんたちがトラックの荷台に詰め込まれて運ばれていく。夜明け前の薄朱い明かりと転落防止のための鉄柵が相まって強制収容されていくかのような恐ろし気な光景だ。なんせぎゅうぎゅうに詰め込まれているのでもし事故ったら荷台の全員がただではすまないだろう。バンコクに住んでいると世の中は不平等だということをあらゆる場面で実感できる。日本では都合の悪いことはきれいさっぱり隠してしまっているのでかなり深いところに潜っていかないと見えなかったが…。とりあえずこれが普通であり日常なのだ。実際俺も人のことを心配していられるような余裕のある状態ではない。一般市民は無理を承知で足掻くか従属するかの2択。俺は貧乏外国人なのでより狭い道を歩いているわけでより必死で足掻かなくてはいけないのだ。

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この前タイ人女性の Joy が一緒に酒を飲んでいる時に心底って感じで『タイ人は信じられない』と言っていたが、俺はこの国でまだひどい目には合っていないのでいまひとつ理解はできていない。『あなたは日本人だからわからないだろうしその方がいいわ。とてもラッキーなことよ…』苦労人の彼女が言うのだからいろいろなことがあっての重たい言葉なんだろう。異邦人である俺は《まあラッキーと言うならそれはそれでいいか…》と深追いする気はない。マイペンライだ。考え過ぎるとろくなことが無い。

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 兎角《不幸》を追い始めるとキリがない。世界は不幸で溢れかえっているので追いかければ簡単にそれに溺れてしまう。若い頃は怒りとか痛みの類のネガティブな感情を歌にしようと足掻いていたが、今の俺は過去の俺の気が知れない。たとえそれがアートだとしてもわざわざクソだけをまき散らすような行為はそういう趣味の人だけが楽しんでくれればよい。アンダーグラウンドアートにはその側面があるのは間違えないが、生きていく中でそれをやっている連中が実際は不幸ではなくてどちらかというと裕福な連中なのだと理解してしまうと胸中複雑で素直に心に響かなくなってしまった。変態趣味ってのは貴族のお遊びなのだと確か村上龍あたりが書いていたがまあそんな感じなんだろう。人それぞれだし好きにやればいいさ。俺もそうする。

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ギターを弾く子に Bill Frisell 好きですか?と聞かれることが数回続いたおかげで最近良く聞くようになったが、好きかと問われれば、もちろん素晴らしいギタリストだけど《どちらでもない》感じ。ちなみにMarc Ribot は大好き。一音一音に気迫を感じる。

Marc Ribot improvisation >> https://www.youtube.com/watch?v=UJZvc24IaD4

自分の《好き》《嫌い》の判断基準は良くわからない。でもだいたい一目で決まる。最近は《嫌い》はほぼなくなった。単純に怒りのエネルギーが足りなくなって来たんだろう(笑)けど日々を生きるには悪くない。

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間もなく洗濯終了。その後は午前9時にプロンポンのコンドミニアムで初対面のファランから5Wの小型アンプの受け取り。来月は少し長い旅なので移動の合間にアイデアを練るための超小型アンプを探していたらちょうど中古の出物があったのでゲット。電池も使えるので野外でも弾けるのでちょうど良い感じ。夕方はGalleryで演奏して夜はYOSHI BARの周年に顔を出す。今日は音楽浸けだ。幸せな週末だ。